

11月20日
ボジョレー・ヌーボーなるワインを買って飲んだ。テレビのとあるレポーターと同じで「これがおいしいの?!」某タレントはなんだかんだと批評していたけど、このワインのどこがいいのかわからない。
味のわかる人にはおいしいのだろうけれど、普段安いワインばかり飲んでいるので、舌がなれてしまったのだろう。世間でおいしいといわれるものの、おいしさがわからないのはさびしい。
昨日のたべたウィンナーソーセージもそうだった。おいしいらしいけれど、まずくて一口食べたら、吐いてしまった。
ふだん、生協でなるべく添加物、農薬、化学肥料、薬を使わない商品を食べなれているせいか、どうか本当のところはわからない。
それにしても昨日圧力鍋で作った、いわしの甘辛煮は良く出来た。
11月15日
とにかく食べた。ここに来るとおなかがすいてすいてたまらない。東京にいると食欲がほとんどなく、どちらかというとむりやりたべているけれども、もう朝から食欲が湧いてくる。空気のせいなのか、はたまた旅行にきているという開放感からくるのか、食べるものもおいしいし、不思議なくらい食べたくなるし、食べられる。(帰ってから体重計にのるのがとても怖い!)
まずカリーミー、これは私の大好物。マレーシアにいたときは毎日食べていた。それでも飽きないから不思議。そしてヨントーフー、これも大好き。それから次にマレーシアのハマグリ=ララとチリカンコンを食べに行ったが、この店の料理は最悪だった。一口二口食べてすぐ退散した。その次に口直しにナシ・チャンプー。ビーフレンダンがとてもおいしかったのだが、スプーンとフォークでうまく切れず洋服を汚してしまった。いったんホテルに帰って洋服を洗って着替えて出直したのは、ロチ・サーディン。まだまだ食べたかったけれども、ここで打ち止め。
今日は何を食べようか。まったく食べることばかり。でもかっての同僚に「どうしてきたの?」と聞かれてすかさず、「for makan」といったら、そうだろうと思ったよ。といわれてしまった。
11月14日
久しぶりのマレーシア、朝から雷さんに起こされてしまった。昨日のフライトでもマレー半島にはいってから、積乱雲の合間をぬうようにして飛んで行ったけれども、その光景にはびっくりしてしまった。まるで蔵王の樹氷の合間を滑っていくように、怪獣さんたちの合間を恐る恐る通り抜けていった。操縦している人たちは、本当に機械と空をにらめっこしながら、怪獣さんたちに触らないように飛びぬけていったのかと思うと、その努力に頭が下がる。まして、着陸に向かって高度を下げながらの操作だから、大変だったと思う。
その積乱雲を抜けたらもう目の前にはマラッカ海峡が夕陽にそまっているではないか。飛行機を降りたらもう薄暗くなり、ちょうど空港では、「ただいまfastingがおわりました。」とアナウンスがあった。fasting month-ラマダン-イスラム教の断食月の最中なので、イスラム教の人たちは、日の出一時間前から日の入まで、飲み食い(とあと何か、それは皆さんのご想像にお任せ)が出来ない。
例年、5,6月と11,12月は雨期にあたり、朝から雷さんのお出ましもある。いつか日本からいらした著名な音楽家が「マレーシアの雷は大胆だし、雨の大きさもすごくおおきいね。」とおっしゃっていたが、本当にそう思う。雨粒など日本のが米粒くらいだとしたら、マレーシアは、らっきょうくらいはあると思う。
11月1日
10月書いたとおもったら、もう11月になってしまった。しまったあ。
最近奥歯のそのまた奥が痛くなって歯医者に何十年ぶりにいったら、「親知らず」の生え出したところにばい菌が入って痛くなっているという。まさに親が知らないはずの年齢になってぬくぬくと歯が生え出したということである。
自慢ではないが、虫歯とはご縁があまりなく、歯医者もまだ手指で数えるほどしか行ったことがなかった。おかげで歯医者がびっくりするほど歯石がたまっていて、その一部分を取り除くのでさえ1時間以上かかってしまった。
歯にかぎらず、車のように走行距離か、1年ごとに体の定期点検って必要だなと感じる今日この頃である。
10月2日
先日お江戸の上野から浅草に向かう途中にある、合羽橋というところに行ってきた。合羽橋といえば、調理道具一式なんでもそろう問屋街として有名である。
今は一般のお客さんでも安く台所、調理道具が手に入るというので、一度は行ってみたいと思っていたのだが、なかなかチャンスがなかった。
秋晴れさわやかな朝、ふっと思い立ち上野から歩いてみることにした。約15分くらいで合羽橋の商店街の真中に着いた。平日の午前中とあって人通りはほとんどなかったが、大学祭の近い若い学生さんたち、菓子学校の生徒さん?浅草見物の途中にたちよったと思われる白人の人たち、飲食店を営む方プロと思われる人たち、などなどいろんな人たちがお店をあちこち覗いていた。
なんといっても種類は豊富だし、安い!電車賃払ってでもくる価値大。お金があったら、買いたいものがやまほどみつかったけれども、買った夢だけ見てきた。
たとえ合羽橋はちょっとという人でも浅草までさほど遠くないし、元気なら上野にもどって美術館めぐりもよし、地下鉄にのって銀座に行ってもよし、なかなかいいところだと思う。
東京生まれの東京育ちのはずなのに、まだまだ知らないところがたくさんあるなあと反省。
9月29日
ふたたびバッハ。バッハの作品の中で私にとって面白いことのひとつは、短調の曲が好きであるということだ。ロ短調ミサ曲をはじめとして、バッハで好きな作品は100%短調である。なぜだかわからない。ただ並べてみたら短調ばっかりだったと言う具合だ。
短調のことを、長調とくらべて「暗い」などと教える方がいらっしゃるようだが、バッハの短調は決して暗くない。むしろロマンチックだと私は思っている。とても感情豊かで間違えると、ロマン派のように弾いてしまう。そこは、もっと感情を押し殺して、むしろクールに弾くものだと思っている。
昔自分のピアノの先生が、バッハが好きならピアノは上達するとおっしゃっていた。相変わらず上達はしていないが、バッハを練習、演奏すると、大変音楽の勉強になることは確かである。何度弾いても新しい発見があるし、回を重ねるごとにもっとこう弾きたい、ああ弾きたいと欲が出てくる。
9月28日
私にとってバッハとは、なんて書き始めたらどうなるのだろうか。バッハを演奏するとき、いつも私はほかの作曲家の演奏をするときとは、違う何かがある。バッハ自身、神にささげるために作曲をしたと聞いているが、私も無宗教ではあるが、演奏しているときは、なにか神に捧げるというのだろうか、音楽に集中することができる。
ひとつには、バッハの作品の多くが、対位法をよく使っているため、それぞれの声部がどんなことをしているのか、よく聞きながら演奏しなくてはならない。これが鍵盤楽器の作品となると、一人で3声、4声を使い分けなくてはいけないので、ものすごいテクニックが必要となる。
バッハのオリジナルの楽譜には、音符以外にあまり多くのことがかかれていない。それは、その当時の状況から考えれば、当然のことではあるのだが、数少ない情報から、いかにバッハの意図したことを汲み取り、それを音にして、芸術作品に仕上げるか、これはとても難しいことである。
音を出すだけならば、さほど難しくないけれども、作品として仕上げるためには、テンポ、ダイナミックス、フレーズの取り方、音色、声部間のバランス、etcなどやらなくてはならないことがたくさんある。
それでも私はなぜかバッハが好きである。聞くよりは、自分が演奏するとき、なにか心が洗われるとでもいうのか、、、たとえそれが日々の練習であっても、バッハを弾くときは、神に祈りを捧げるような気分になる。
9月27日
久しぶりのお日様、いいお天気になった。暑さ寒さも彼岸まで、の言葉どおりいい初秋の朝となった。
自分のHPにはたくさんのお客さんがきてくださるけれども、内容的にはとても自慢できるものではない。なにもかもが中途半端になっている。まるで、バルセロナのなんとかいう、いまだ建築中の建物のようだ。書きたいことはたくさんあるのだが、、、きっといつまでたっても完成することなどないのだろう。
のんびりあせらず、ホルンのこと、音楽のこと、マレーシアのことを書いて行こうと思っている。
ところで、今コンピューターの画面の隅っこには、かわいいBONZYというおサルさんがいる。お金を払うといろいろおしゃべりをしてくれたり、歌を歌ったり、遊んでくれるらしいのだが、今のところは、無料お試し版なので、ただ隅っこにいて愛嬌を振りまいたり、バナナを食べたりしている。かわいいペットのようだ。
9月25日
10日ほど前、実は夜うとうとしながらパソコンをやっていて、(だいぶ飲んでいたせいもあるが)このノートを落としてしまった。もともと虚弱体質なこのノート、一度は修理センターに行ってきて、新品を買うのと同じくらい修理にかかるといわれて、「そんなんだったら、修理しないで返してください。」といって病弱なまま帰ってきたのを、やさしくなだめすかしながら、使っていた。ところが、さすがに落とされては、かなり重体になったのか、ちょっと調子がわるくて、IEやOUTLOOKが使えない。時節柄その手の物は、ウィルスに冒されやすくて、健康なものでもやられてしまうので、どうしようと思っているうちに、今使っている「OPERA」に出会った。名前が音楽家好みだし、なかなかどうして使い勝手が私好みである。
ボタンやフェイスなども工夫してたのしい画面になっている。試してみたい人はどうぞ。http://www.opera.com/
9月20日
最近凝っているのが重曹。家主はいろんな洗剤を買ってくるのが趣味らしく、我が家にはたくさんの種類の洗剤があるが、私は石鹸、重曹、酢(本当はクエン酸が一番いいらしい)でだいたいの掃除をしている。
なにしろ安い。重曹一箱買ってきて3ヶ月くらいはもつ。もっともあまり掃除しないせいもあるが、400円弱で油性のよごれ、茶渋はばっちしである。環境にも人間にも害がなく、なんでこんな安くて便利なものがいままであまりヒットしていなかったのか。
洗濯で泥んこ、えり、袖、血液のよごれは、石鹸が一番きれいになる。
トイレや水周りのよごれは、酢と水を1:1でスプレーすればすぐきれいになる。
おかげで冬に手あれに悩むこともなくなった。掃除は楽しいけれども、すぐ汚す=きれいに使おうとしない家人たちには腹がたつので、あまりまじめに掃除をしないことにしている。
9月19日
寒かった?8月にくらべて、9月になって暑い日が続いている。しかし朝明るくなるのはだんだんおそくなっているし、夕方の日が暮れるのは次第に早くなっている。日が昇ってくる場所もだんだん南よりになっているし、日中陽の差し込む角度はすこしづつ変わってきている。
朝暗いうちにおきるのはつらい。お日様とともにおきるのが一番楽だと思う。特に4時から5時というのは、車の往来もほとんどなく、静かなので、夜が明けるまでの時間は、ちょっと怖さを感じるときもなる。ラジオでもつければいいのだが、なんとなくその静かさが最近は好きだ。
都会に住んでいると、静かとは縁遠くなってしまう。自然と向き合う貴重な時間を逃したくないと思い、ラジオやテレビは6時までつけないことにしている。
お弁当がんばってつづけているが、画像にUPするのに時間がかかるので1ヶ月くらいたまってしまった。今度の休みの日にやらなくちゃ。
9月18日
夏休みはだいぶ前に終わったのに、まだ暑い日が続いている。夕方風が止まってしまうと疲れている体に、暑さはこたえる。
最近見つけた本は、講談社から出ている「小沢征爾 音楽ひとりひとりの夕陽」 小池真一著である。「聞く人を感動させる美しい音楽は、沈んでいく夕陽を見たときのような悲しい味がするんです。」という本の帯を見て買ってしまった。
パリに行く途中、マニラ湾に沈む夕陽をみて、感動したという彼の半生ー生き様が、さまざまな言葉で織り込まれている。
結局、音楽に限らずどこの世界でも、最後は自分との戦いなんだあ、と思う。生きるとは、すなわち自己との戦いであり、死との戦いなのではないかと思う。
8月31日
昨日書いたものをくりかえして読んだら、まったく意味の通じない文章になっていた。鉛筆で書くときは、やはり考えながら、そしてなるべく消しゴムを使わなくてすむように、頭の中で文を組み立ててから書いていると思う。ワープロ機能は、消しゴムよりも簡単に消せるので、なんとなく書いてしまう。じっくり読み返さないから、こんなことがおきてしまうのだろう。キーボードに慣れると、漢字もかけなくなるが、文章力も劣るような気がする。
8月30日 その2
夕方再び某国営放送局をみていたら、少年犯罪をテーマに番組が進められていた。番組を見ている中学生などを対象にしたアンケート、実際に少年犯罪にあった親、事件のかかわった少年などの声をまじえながらであった。
結びにキャスターが、家庭でこの問題について皆で話し合うことがたいせつだと思う、と結んでいた。本当にそう思う。私だっていつ加害者の親、被害者の親になるかもしれないけれども、やはり普段から「命の大切さ」「人と人との関係の大切さ」などについて語ること以外に、こうした犯罪を防ぐ方策はないと思っている。自分の子供に言わせれば、大人だって、物を盗んだり、人を殺したり、悪いことやっているじゃないか、という。まさにそうだと思う。本来子供たちの手本にならなくてはいけないのに、世界中どこへ行ってもそんなことをしている大人がたくさんいる。だからこそ、一番小さな社会=家庭での話合いが大切なのだと思う。また自分中心の考えを改める、とか、万が一だれか殺したいくらい憎い奴、いやな奴がいても、殺さないですむ方法を見出せるような自分を作ることが大切だと思う。
世の中いいことばかりではない。むしろいやなことの方が多いのがあたりまえの世の中。すべて自分が思うように行かないのは、自分が悪いのだと思うようにしなければ!自分の苦境を人にせいにしている限り進歩はない。一生懸命会社のために働いてきたのに、失業してしまった。明日からどうしよう。とぼやく前にまず自分の明日からを作ることを考えなくては!
8月30日 その1
朝10時から某国営放送局で、ある剣道世界一になられた方のドキュメンタリーをやっていた。自分は剣道についてはまったくの素人であったが、見ているうちに涙が止まらなかった。
その方は普段はごく普通の警察官をなさっているのだが、縁あって剣道の世界大会にまで出ることができた。しかしその道のりは平坦ではなく、なんども失望のどん底におちては、なんとか次の大会では勝ちたいと考え、自分を極限まで追い詰めながらも鍛えぬき、その結果として世界大会で、日本代表として優勝を収めることができたのである。
しかし、ご自身のおっしゃるように、試合に勝つことより、自分に勝つことの方がどんなに大変であったか!ということを静かに強調されていた。剣道に限らず、スポーツに限らず、自分に勝つということは大変なことである。
また剣道の技の美しさにも感動した。攻めるだけが勝負でない。相手のほんの一瞬の隙をたがわず攻めていく。これは、技だけでできるものではない。集中力となにか神業のようなものがなせるものではないかと思った。
言葉を言い換えれば攻めるのは簡単である。しかし相手に勝つということは、すなわち技でなく自分自身のなせる「技(わざ)」なのであろう。相手方の韓国の選手は、確かに体が一回り大きくて、見るからに力がありそうである。しかし攻め方が大ぶりであった。多分力づくならまけていたであろう。しかしながら対する日本人の方は、動きは最小限に、しかし常に闘志盛んな攻めを行っていた。
決め手となった技は、本当に美しかった。優勝後にある白人の選手が「すばらしかった」といって抱擁していた気持ちが私にはすごく良くわかる。
自分に勝つ。己に勝つ。厳しい、しかし乗り越えなくては、何もえることができないのだと痛感した。
8月28日
朝起きてみると、携帯にメールが入っていた。何だろうとみたら、ある方の訃報であった。20,30代の前半は、誰かが結婚したとか、誰かにこどもが生まれたというような明るい話題が多かったのに、40を過ぎると、誰かがなくなったとか、誰さんの親がなくなったとか、そんな暗い話題が多くなる。
まあ人の命はいつか終わるのだから、順番が前後しただけで、たまたま自分はまだ生きている。昨夜は6万年に1回という火星の大接近とか。それじゃ、前回を見た人はいるんだろうか?!いや人類の歴史はそれ以上だから、見た人はいるんだろうけれども、あの星はやけに輝いているなあ、と思って見ていたのだろうか。
次回はぜったいみれないだろう。だいたい6万年先に地球があって、人類が無事に生きているのだろうか。ある日、ちょっと間違ってボタンを押したがために地球が崩壊する可能性だって十分あるのだ。ご近所にも核兵器がたくさんあって、「ムカツクー」「頭きた!」といってボタンを押されたら、我が家もぶっ飛んでしまうかもしれない。
今日一日を大切に生きる。それが私たち、人類に与えられた課題なのだと改めて思う。
8月25日その3
某国営放送局のアナウンサーが、「○×さんが×○さんに怪我を負わされた」といっている。おかしい。怪我はする。仮に「怪我を負う」としても「負わされた」というのはおかしい。自分なら「○×さんが、×○さんに怪我をさせた」が正しいと思うのだがまちがっているのだろうか。おかしいと思っているのは自分だけか。国営放送局の日本語は正しいと思っていた自分はおかしいか。
もしこのつぶやきをみている方で、正しい答えを知っている方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
もうひとつ「この辺でドアを閉めさせてもらいます。」または「閉めさせていただきます」あれもおかしい。しめりゃいいじゃん。えたいのしれないへんな音楽をならしておまけ「閉めさせていただきます」勝手に閉めればといいたくなるのをいつもこられているけれど、やはり自分がおかしいのだろうか。これも私の考えがおかしかったら教えてください。
8月25日その2
私はどうしてもこだわるところがあって、電話がかかってくるといつもトラブってしまう。ささいなことなのだが、電話にでると90%の方が「○×さんですか」とかかってくる。そこで私は「しつれいですが、(失礼ですがどちらさまでしょうか)」とかならず答えることにしている。
会社とかビジネスの世界では、まず自分を名乗ってからなのに、なぜか子供の学校=PTAの連絡網だと、まず「○×さんですか」とくる。自分は偏屈なのかも知れない。でもいったん自分が○×であると名乗ってしまったら、大変なことがあったし、武士はお互いにまず自分を名乗ってからきりあうと思っていたし,いずれにせよ、自分が名乗るのがあたりまえだとおもっているからこそ、相手がなのらないのならこちらも応じない、ただそれだけなのだが、、、自分はやはり偏屈か!
自分が電話するときは、どんなに親しい友達であっても名乗る。肩書きもそれ相応につけて名乗る。別に武士のように戦いを挑んでいるわけでもないけれども、それがマナーというかエチケットだと思い込んでいる。
8月25日
なんだか、ずいぶんHPの更新をさぼってしまった。やろうと思えばできるのに、なんとなくだらだら時間をすごしてしまうことが多かった。
暑い日が続いている。遅い夏がやってきたようである。なるべくエアコンのお世話にならないようにしているが、午後3時くらいから5時くらいと、就寝時の1時間くらいは、つけてしまう。おいおい隣の息子は、どうも受験勉強に身が入らないようで、40分休憩しては、10分くらい問題集をやっている。となりの娘は、やる気があるときはやるけれども、そうでないときはやらない。結局自分の子供だなあと思ってしまう。でも家族みんなで同じ机の上で勉強をするというのは、いいと思う。子供がわからないときはすぐ質問できるし、おやは子供がどういうふうに、どんな勉強しているのか、見ることができる。親も何かに集中していれば、子供も自然と集中する。私は勉強机なんていらない派なのだが、家主はダイニングテーブルで勉強するなんてけしからんと思っているらしい。
あと1週間もないのに、みんな大丈夫かい?!
8月8日
私は本当にフォーレが作曲した「夢のあとに」という曲が好き。まず詩が好き。そしてその詩についた音楽がすばらしい。コンサートで何回も取り上げたけれども、いまだに納得のいく演奏ができない。
「夢のあとに」それは日々のことなのかもしれない。または人生=夢、そう人生を終えるときの人の叫びなのかもしれない。
理想と現実の狭間をさまよいながら、いつも夢見ている私。そして明け方夢がもう少しで実現するというときに目覚めてしまう悲しさ、寂しさ。生きるということは生かされるということなのだということを、ある漫画で知った。死ぬより生きることは大変。本当に大変なことなのだと思う今日この頃である。
8月7日
更新を怠っているとお客さんは不思議とこなくなる。一生懸命更新をしていると、お客さんの私の気持ちがつたわるのかたくさんきてくださる。別に「いらっしゃい!いらっしゃい!」と声を張り上げているわけではないのに、不思議だなあと思う。書きたいものはたくさんあるのだが、文章にするというのはなかなか難しい。特に音楽の場合はなおさらである。
今日から甲子園が始まる。ひょうたんから駒とでもいうのだろうか、都立が行く。相手は常連の強豪。いい試合をしてほしい。普通の高校生でもやれば勝てる。やればできるというところを見せてほしいなあ。
8月6日
原爆投下の日。
昨夜は久しぶりの雷さんに、KLが恋しくなった。迫力は今ひとつだったけれども雨の降り方はたいしたものだった。いつもは多少の雨でも平気な日本人も、さすがにあの降り方には参ったのか、雨宿りをする人がたくさんいた。
雷が怖いのは落雷。雷に伴う雨、風である。あちこちで大変だったようだけれども、そこは日本。なんとか事なきを得て夜があけた。58年前の今日、広島は良く晴れた天気の日だったそうだ。戦争がなくなるのはいつのことやら、、、合掌。
8月1日
もう8月。最近は本当に時間の経つのがはやく感じられる。昨日のこと、去年のこと、ずいぶん前のこと、自分が通ってきた自分の人生が、断片的に写真のネガのように、なんとなく思い出される。そのとき、そのときは楽しかったり、悲しかったり、さまざまな感動をともなっていきているのに、過去となってふりかえると、ネガのように存在感の薄いものとなって、やがて記憶が消え去り、そのときの充実感、存在感とはまったく違う次元で記憶として、パズルの切れ端のように残っている。
思い起こそうとしても思い出せない事のほうが多い中で、自分の人生に転機となった出来事とその前後は、かすかによみがえってくることがある。それはたいてい夢の中。「夢のあとに」私はときどき悲しい時を感じる。。
過去を振り返るとき、今日1日、そのときを大切に生きていかなくてはと思う。
7月31日
29日にかいたものをよく読んでみたら、なんかひどい日本語。最近本を読まないからか。
自分のことを棚に上げていうのもおかしいが、電話やスーパーで、「よろしかったでしょうか。」はやめて欲しい。「よろしいですか。」というべき。駅のホームで「この辺でドアを閉めさせていただきます。」は「ドアを閉めます。」で十分。
昔の、といっても自分が子供の頃は、言葉遣いが悪いとよく親に注意されたものだった。そうそう、先日子供の学校へ行ったとき、生徒の先生にたいする言葉遣いが、気になったので、「先生にそんな言い方してはいけませんよ!」と思わず言ってしまった。子供は「なんであんな恥ずかしいことするの!」と怒っていたが、、、
もう一つ言葉とは違うけれども、最近コンビニやスーパーで、レジの方がおつりの小銭を渡すとき、手のひらに投げてくる。なんだろう。お客様は神様だよ。知らない人の手をさわりたくないのなら、手袋してやればいい。
7月29日
あっという間に7月も終わろうとしている。夏休みが始まる10日ほど前からコンピューターは息子たちに陣取られ、私が使えるのは早朝のみ。それも今日は弁当作りがないとか、弁当をサボる日しか使用できない。おまけに新しく買った無線ルーターの接続にてこずり、2000円払って有償サポートを受けてどうにか使えるようになった。
もう一台は、まだ接続できない状態にある。これもたった一枚の紙切れをなくしたために、2週間ほど待たねばならぬ。まったく世の中時間を金で買うか、金を使わずに時間を掛けるかである。
子供たちはやりたい放題、し放題。家の手伝いもまったくといっていいくらいせず、部活、アルバイト。それがなくて、家に居るときは、テレビか、コンピューター。堪忍の尾は常時きれているけれども、静かに諭しても反応がないし、怒鳴っても、「うるせー」。まったく育て方を間違えてしまった。
7月10日
普段はあまり、政治、社会、事件、事故については殆どふれないようにしているが、今日は覚悟で申し上げる。殺した方も悪いけれど、両方の親の方も悪い。加害者の親=そんな子供に育ててしまった。被害者の親=子供を置いて目の届かないところへ、行っていた。
自分も同じ年頃の子供がいるし、いつ加害者の親になるかわからない。でも善悪について、警察や弁護士のお世話になるようなことだけはするな、親を悲しませるようなことはするな、と常々言っている。
外国に住んだらよく分かるが、先進国なら小さい子供はほったらかしにしたら、刑罰で罰せられる。発展途上国は誘拐が多いので、すぐ注意される。何が起こるかわからないのだからいつも手を離さないようにするのが当たり前。子供の面倒を見るのが、親の責任であり、義務である。
自転車に子供をのせたまま、買い物をしている親。エスカレーターに先に乗って、「なにやってんの!早くきなさいよ。」という親。スーパーのお菓子売り場に子供を置いて、自分は他の売り場を見ている親。勉強ができれば「いい子」だと思っている親。子供のことは、妻に任せているという父親。子供に過剰な期待をかけている親。気をつけたほうがいいですよ。
7月8日
久しぶりに早く寝て2時ごろ起きて仕事をした。やっと外が明るくなってきたが、今日も空は暗い。なんとなくこの梅雨の暗さにはなれてきたが、あのさんさんと輝くお日様が恋しい。抜けるような、とはよくいったものだけれども広く高い青空が恋しい。さわやかに乾いたお洗濯ものが恋しい。
7月3日
久しぶりになんにもない日。まあ家事はやらなくてはいけないけれども、、
もう7月。あと3週間すると恐怖の夏休みがやってくる。まったくこっちなんか年中無休なのに、いいなあ、私も夏休みが欲しいなあ。でも終わったときの事を考えるといいやって気分になってしまう。
それにしても最近酢の物がおいしい季節になってきた。やっぱり夏だ。
6月30日
昨日、今日といいお天気が続いている。夏が少しづつ近づいているのだろうか。今年も梅干を作り始めた。本当はもっとたくさん作りたいのだが、かなしいかな、狭い賃貸マンションでは、置き場所がない。味噌ももっとつくりたいところだが、梅との兼ね合いで、これ以上はむずかしい。
パンもそうだが、自分で作るものは、まず安心して食べられる。ブランド品よりは、安いし、結構おいしい。便利さを追求するあまりわすれてしまったものがたくさんある。
今電力不足が云々ということが言われているが、早寝早起きすればどうだろうか。今は4時半になれば明るくなる。学校に行く前に2時間くらいは勉強ができる。エアコンもいらない。朝の方が集中力があるというし、一石二鳥ではないだろうか。
6月26日
疲れたときにお香を焚くといいなあと思って、焚いているうちにふとあることに気がついた。そう、仏教でもキリスト教でもお香とたく。たしかヒンズーもそうだ!イスラムは?どうも記憶にないのでお香は焚かないのかもしれない。なぜ?!理由は簡単、心を静めることができるから。お香の匂いを嗅いでいると、不思議とリラックスできる。長い歴史の中で、お香は精神安定剤の役割を果たしてきたのだろう。
神、または神のような存在に救いを求めるとき、それは人が何か精神的に病んでいるとき、疲れているとき、悩んでいるときである。自分の心の奥深く沈殿しているかすのようなものをはき捨ててしまえば、どんなに楽だろう。しかしいつもいつもそんなことができるとは限らない。いやできることのほうが少ない。
昨日、ある番組で「京のおばんざい」というテーマでいかに安く、おいしく、てを抜いて作る?!なんていうことをやっていた。さっそく我が家でも、ひじきと、切干大根、人参、ごぼう、大豆、鰹節削り、干ししいたけを一緒に、酒、醤油、みりんで煮た。ずばり上手い。皆に自慢したいくらいおいしい。かなしいかな、我が家の人たちは「わかんない」か、もくもくと食べる、または食べないだからかなしいけれど、お薦めです。
6月25日
雨、雨、雨。
傘をさして歩くとき、気になるのは、すれ違うとき。もし私が傘を斜めにしなかったり、高くしなかったら、絶対ぶつかるということがよくある。いや傘だけでは、ない。朝の駅なんか向こうからどんどんぶつかってくる。よけようとするとまたぶつかる。道を自転車で走っていると、よく正面衝突しそうになる。あれっ?自転車は左側通行って、小さい頃習ったけれども、あれは変更になったのだろうか。
まあこの狭い日本に、ひしめき合うように大勢の人がいるのだから仕方ないといれば、それまでだけれど、、、そう、私は世の中の平和、秩序を保とうとしている、ウルトラマンの子分なのだと思うことにしている。
6月21日
夏の日差しだ。4時半に台所に立つともう、お日様が向こうでにこにこ笑っている。
先日「話を聞かない男 地図が読めない女」という本を読んだ。面白かった。私は地図はわりと読めるほうだと思っていた。マレーシアあたりだと、殆どの人が(男女にかかわらず)地図を使わない、読めない。場所を説明するときは、必ず、右に曲がって3つ目の角を左に曲がって、、、とやられる。私はこれがとても苦手で、話を聞きながら、自分で勝手に地図を書いていた。
あるとき、地図はたいてい北が上だから、南に向かって車が走っているときは、南を上にすると(分かります?!この説明で)よくわかるではないかと思い、そうやって地図をみていたら、隣でハンドルを握っているお方が、「おいおい地図をさかさまにするなよ。」と仰せられ、そのときちょっとした口論になった。それ以来、実はわたしってやっぱり地図が読めないのかなと、かなり真剣に悩んでいた。
まあこのタイトルは「一般的に」とか「たいていの」という言葉をつけて読めばよいのだが、まあ日ごろ、悩んでいた何件かのことはすんなり解決した。
ご興味のある方は、どうぞ!ちなみに我が家では、「私、そういう風に脱いだ洋服を置いておかれるのすきじゃないわ。」と息子にいったら、すんなり片付けてくれた。
6月20日
ある雑誌をぱらぱらとめくっていたら、作曲家の加古隆さんのインタビューが載っていた。加古さんとは、その昔、ずっと昔ご一緒にお仕事をさせていただいたことがある。とても穏やかで静かでちょっと神秘な感じのする方だという印象だった。今は押しに押されぬ、売れっ子の作曲家、ピアニストとして大活躍されている。
そのインタビューの中で、「音が美しいということ、これがなかったら、なかなか人の心にふれていけないですね。(略)美しい音というのは全身でイメージしないとなかなかでないものですからね。」と言われている。
最近ホルンに関するメールで、いい音に対する質問が多いけれども、やっぱり全身で感じる音を常に求めていかなくてはいけないなあと思う。ピアノはたたけば簡単に音がでるけれども、それだけでは人に聞いていただいて感動するというところまで行かない。ホルンならなおさらのことである。空気が自分の体の中から、楽器のベルに流れ込んで、鳴り響くその瞬間、加古さんの言葉を借りれば、「自分ひとりで感動しているの、(略)どこか自分で陶酔できないと」いけないと思う。それにおぼれてしまってもいけないけれども、、、
6月19日
ひさしぶりにお天気。でもKLのような晴れ渡った空ではない。青く高く、澄み渡った空が恋しい。
6月14日
クアラルンプールにいく航空券をさがしていたら、今キャセイとエバーがめちゃ安い。あの病気のおかげで信じられないくらい安い。しかし、キャセイのホンコンークアラルンプールは毎日満席で席がとれない。エバーはタイペイに1泊しなければならない。そんなことだろうとはおもったけれども、、、ちなみに日本航空の格安チケットというのはないというか、いわゆる悟空しかないそうだ。急なお出かけは、外国のエアラインを使えってわけだ。まあ会社の出張だったら、会社がエコノミーの正規の運賃をはらってくれる?のだから、安くしなくたっていいわけか。
だけどどうしてそこまで日本航空にこだわるのか、すばりマイレージ。これってアルコールやタバコとおなじでやりだすとやめられない。いつかシンポールからKLまでSQをつかうので、ワンワールド=全日空のマイレージカードを申し込んだことがあるが、まだ1ポイントもついていない。シンガポールからKLまでは、マイレージがつかない。マレーシア航空も私が良く使ったころは、国内線はつかない、国際線も正規の運賃をはらわないとだめだった。
もうひとつ、日本航空には、何人か乗員を知っているので、なんとなく安心して乗れる気がする。おねえさん、おにいさんのサービスとかとかはあまり私にとっては重要でない。ワインでも飲んでねむれればいいのだ。むしろそこで働いている人が、あの人の友達、あの人の知り合いというと、舞台裏を知っているという気分になる。コンサートと同じ。
6月13日
13日の金曜日。ケガや事故にあわないように気をつけなきゃ!今やりたいこと=夢、それは、ヒンデミットのホルンソナタ、アルトホルンソナタ、ホルン協奏曲をもう一度演奏会でやりたい。一晩に全部一緒では吹くほうも聞くほうも大変なので、3回やるしかないなあ。特にアルトホルンソナタは自分が好きな作品の一つである。でもピアノのパートがめちゃくちゃ難しいので、なかなか頼みづらい。中に挿入されているしも今度こそは、ドイツ語で朗読した後、日本語に訳してお客さんに聞いていただきたい。
ヒンデミットを後半のメインにするとしたら、前半はどんなプログラムにしようか。または、前半にソロをもってきて、後半はホルンアンサンブルでもいいなあ。まずバッハ、そしてヒンデミットのホルン四重奏、ワーグナーのジークフリートファンタジー。アイディアはよく浮かぶけれども、、、
6月12日
朝から雨。1年のうちで一番憂鬱な季節がやってきた。なんとか乗り切ろう。お日様に会えないのは寂しいけれども、仕方ない。気分が滅入るときは、今はやり?のお香をたくことにしている。ラベンダーのお香を焚くとなんとなく気分が落ち着いてくる。
6月11日
ノルウェーのホルン奏者である、フロイデス・リー・ヴィクレの著書「Thoughts on playing the Horn Well(ホルンがもっとうまくなる)」の中に面白い(interesting)ページがある。
それは、自分自身が教師となることについて考えるという章の中で、「言葉の選択」ということが書かれている。要するに否定的な言葉を避け、肯定的な言葉を使おうというわけである。
別に教師にならなくても、普段の生活でこれはとても重要である。
あの人は自分の気持ちをわかってくれない。→あの人は、自分の気持ちを理解するのに時間がかかるのだろう。
あなたの考えは間違っている。→あなたの考えは、とてもユニークだね。
今日の料理はまずい。→今度作るときは、きっとうまくできるよ。
金がない。時間がない。→なんとか作ろうと工夫すれば、金も時間もいくらでもなんとでもなるさ。
同じことでも、ちょっと言葉を変えると、人生がかわるような気がする。
ありえない!という方には、お試しあれ。
6月10日 時の記念日
私の友人に今日生まれた人がいる。お誕生日おめでとう!この人は、今日が時の記念日だからというわけではないけれども、時間にとても厳しい。ちょっとくらい遅れてもいいと思って、待ち合わせの時間に遅れたら、「自分は時間に厳しいんです。」と言って怒られたことがあった。
誰でも1日は24時間。どう使うかは勝手だけれども、待ち合わせだけは、時間に遅れないようにと努力している。
6月9日
午前中、ピアノの生徒さんに、バッハのパルティータのレッスンをした。改めてバッハってすごい人だと思う。やりだしたら、もう日がくれてしまうのではないかと思うくらい。音色の作り方、フレージング、ダイナミックス、表現の方法=そのための指使い、腕使いなどなど、ホルンは、一度に一つの音しか出せない(例外もあるが)が、ピアノはたくさんの音を一度にだせるから大変。バッハは、右手がメロディで、左手が伴奏というのは殆どない。低音はチェロのように、中音域はビオラ、高音はバイオリンというように、一つの楽器で、三重奏、四重奏をやるのだから、指の先から頭の奥深くまで注意深く、五感を駆使して演奏しなくてはならない。、
でも自分がバッハを弾くとき、一番自分の気持ちが素直に集中するような気がする。
6月8日
最近のうちのリビングにあるテレビが映らなくなってしまった。そこでPCで必要な番組は見ている。CDプレイヤーの方も今ひとつ調子が悪くなって、部屋の片隅においてある電気製品たちは、皆眠ったままである。いっそのこと捨ててしまいたいけれども、、、音楽は今moontaxi.comで聞いている。ジャズ、クラシック、ポップ何でもありなので、便利。クラシックのsymphonyのサイトは、マーラー、ブルックナー、ショスタコービッチが良くかかる。
テレビのニュースで、近い将来携帯電話も、動画が簡単に見れるようになるという。こうなると、携帯電話一つで情報は殆ど入手することができるようになる。また電車に乗るときや、買い物も携帯電話でお金の出し入れができるようになるというのだから、すごい。
私が子供のころは、電話をかけるのでも大変だった。田舎ではまだ有線電話が残っていて、ハンドルをぐるぐる回して交換を呼び出し、番号をいって、一旦きる。つながると交換が呼び出しをしてくれるという電話をつかっていた。
世の中は便利になる一方だけれども、私にとって、気持ちを伝えるという人と人とのコミュニケーションは、むずかしいままである。
6月7日
朝はだいたい、龍井(ロンジン)か紅茶、昼は、プーアールかコーヒー、夜は発泡酒にワインか芋焼酎。昨日、本屋で風水に関する本を立ち読みしていたら、朝は緑茶か紅茶がいい。コーヒーは午後がいい。なんてことが書いてあったのでびっくりした。でも自分の運はあんまりいいほうではないと思う。当たるのかな、、、
芋焼酎はなかなかいける。もともと興味がなかったのだが、友人が「喜六」っておいしいから飲んでごらん、といって分けてくれたので、ためしてみたらこれがおいしい。おまけに二日酔い、悪酔いすることがない。いつも「喜六」というわけにいかないので、普段は、「田苑」というのを飲んでいる。これがまた値段の割りにおいしい。お湯と半々でわってすこしづつ飲む。
発泡酒は、最近キリンの「生黒」にはまっている。他の発泡酒にくらべて安いし、黒ビールほどきつくない苦味がすごく気に入っている。
だけど、酒やめられたら、楽器など何本ももっているのになあ。ずいぶん無駄遣いしている。
6月6日 芒種
今ピザはうちで作る。昨日もピザを作った。本当はトマトソースも自家製なのだが、昨日は時間が無かったので、ソースは買ってきたものをのせた。本当においしい。電話をすると持ってきてくれるピザは、高いし、あまりおいしくない。トッピングも冷蔵庫にあるもので工夫できるので、自家製がお薦め。生地はパン焼き器の生地つくりでやってくれるので、その間、サラダとか作れる。だいたい買うと3000円くらいするピザが、家だと600円もかければ、ものすごいいいものができる。
朝一番早いのはパン屋のLime?!?というわけで、今では朝起きるとまずパン焼き、そしてお弁当つくり。大変だけど、おいしいのでやめられない。さあ、今日も一日頑張るぞ!
6月5日
なにを隠そう私は、隠れ○×ファンなのである。去年も好調好調といわれながら、6月にはいって滑り台を降りていってしまった。今年はどうなのだろうか。なんとしてもたまには優勝してほしいと密かに願っているが、本当に勝ってしまっては面白くないと思っている変なファンである。
6月4日
my wish list: ホルンと音楽に関するものは、キリがないからのぞくとしよう。
1.圧力鍋: 今持っているのは、大きすぎるので、洗うのが大変。大は小をかねるけれども、狭い台所ではときどき大きすぎて、置き場所に困る。
2.食器洗い機: ある人と話していたら、料理ごとに銘々皿に盛るのをやめるだけで洗う量が減るよ。と教えてくれたけれども、やっぱり好き嫌いの多い子供たちになんとか食べさせるには、銘銘皿が必要。いずれにしても洗ってくれる人か機械が欲しい。これで一日1時間は節約できる。
3.デロンギのコンベクションオーブン: 今はレンジ兼オーブンで小さい。
なんか料理に関するものばかり!でも先立つものはないし、食器洗い機もオーブンも置き場所がない。あきらめるしかないなあ。減らしたいものもたくさんあるのだが、家主が勿体無い派なので、捨てられない。捨てようものなら、物を大切にしないと怒鳴られる。
とりあえず、圧力鍋をなんとかするか。。。
6月3日
昨日少し、ガンサー・シュラーの書いた「ホルンのテクニック」のオリジナルをよんだ。英語の本を読むのは、あまり得意ではないけれども、翻訳よりオリジナルのほうが、著者の意味がつたわるような気がする。よく、中高生からの質問で、自分の経験だけで意見をするのはよくないと思うので、なるべく自分でいろいろしらべてから書くようにしている。しかしながら、翻訳のものを読むと「え?!」ということがよくある。それ以来オリジナルが、手に入るものは、両方を見るようにしている。
別に翻訳者に意見するほど、自分には英語の力はないけれども、日本の翻訳能力の高さの裏に、ちょっとした勘違いが潜んでいることがよくあると思っている。
マレーシアでは、世界の技術に追いつく為に今年から、小学校から数学と理科は英語で教えることになった。あの国の柔軟性は本当にすごい。あと何年かすると、日本なんか追い越されてしまうとまじめに思っている。
6月2日
いい天気。朝から太陽の光がまぶしい。今日はいい日になりそう。朝の段取りもうまく行ったし、がんばるぞ。と気分は高揚している。
それにしても悲しいニュース。消防隊の若い人たちが3人も亡くなられた。言葉もない。ただ合掌あるのみ。毎日こんな風に前途洋々の人たちの悲しいニュースを聞くのは辛い。自分の命はいつまでつづくなのだろうか。意思途中でなくなられた方たちも分まで命を大切に、一生懸命生きなくては!
6月1日
最近、阿久悠さんの自伝が日経新聞に連載されていた。本当に文章が上手というか、日本語の語彙が豊富で、読むものを引き込まずにはいられなかった。ふつうこの欄には、政財界の著名な方々が登場することが多く、何年何月なになにでした。という形が多いが、阿久悠さんのそれは、常にあの方の人生の行き先というのだろうか、なにか力強い木の幹のようなものがあって、そこに枝が伸び、芽吹き、葉が広がり、というような構成であった。
阿久悠さんによれば、人との出会い、これが彼の人生を大きく支えてきたようだ。本当に人との出会いというのは、自分が求めてもなるものではない。
さて自分は、と振り返ってみると、本当にいろんな人との出会いがあった。皆、いい人たちばかりだから、申し訳ない。これからもこのお付き合い、出会いを大切にしていきたいと思っている。ありがとう。
5月31日
朝起きてパンを焼いて、弁当を作って、今日はうまく行ったと思ったら(昨日は、パンが発酵しすぎて生地がだれてしまうわ、粉はこぼすわ、だしの素はこぼすわ、最初に焼いた鮭は真っ黒こげ!大変な朝だった)、息子が45分も前に起きていたのに、朝ごはん食べる時間ないから、途中でなんか買うと言い出す。悲しかった。なんであんな早くから起きてがんばっているのに、、、
家事ってなんだろう。金さえあれば、だれかが家事をする必要ない時代になってきたし、、、
ある掲示板に、中学生の投稿があった。楽器を買って欲しいと親にいったら、「そんなん言うなら吹奏楽なんて辞めればいいやん。そんなんやってもどうせ無駄なんやし!」音大に行きたいといったら、「音大行ったて将来生きていけへんから自分で買えば?」いわれて、「そんな言い方ってひどいと思いませんか?」と書いてあった。
自分も楽器を買うときに、似たような経験をしたことがあるし、今は自分の子供が中学、高校生になって、ときどき高価なものをねだるようになった。この親の気持ちもわからなくない。この親、すごくつかれているなあと思った。多分日々の生活で大変なんだろうなあと思う。でもどんなに貧しくても、疲れていても、せめて「家がどんなにたいへんかわかるでしょう。どうしてもほしいんなら、今あなたの貯金はいくらあるの?」とか「どこの大学でたって、就職は大変なんだよ。」くらいにしておきたい。
どんなに貧しくても心だけは豊かでいたい。心を広く、大きく、豊かにしていれば、きっといいことがある。
あしたから6月、もう6月。時のたつのがどんどん早くなっていくような気がする。一日一日を大切にいきていかなくては!
5月30日
例の朝ドラで花火を見ながら思い出した。去年つの笛集団でみた花火、すばらしかった。講師の一人である、上原先生の作品である。そのときは「ボレロ」の音楽を中心に、あらゆる可能性を駆使した花火であった。バックグラウンドミュージックと相成って至福の時を過ごした。
上原先生の演奏は、じかに聞いたことがなかったけれども、持っている音楽がすばらしいと感じたのは、その後のアンサンブルの練習のときだった。ベートーベンのエグモント序曲とワーグナーのタンホイザー・ファンタジーの指導、指揮が、自分の考えている音楽と合っていたこともあって、吹きながら、音楽に引き込まれていくようであった。
指揮者というのは、なにも棒さばきさえちゃんとやっていれば良いというものではない。その人の人間、音楽に対する考え方をみんなの前にさらけだしているようなもので、中身のない人とやると、やっているほうも聞いているほうも無駄な時間を過ごしていると感じてしまうものだ。
たかが花火、されど花火。今年も先生の花火と音楽にふれたいと思っているが、、、
5月29日
私のすきな曲に、吉松隆さんの「朱鷺によせる哀歌」と「鳥たちの時代」がある。この曲が書かれてからもう20年近くが経つ。武満徹さんの曲は大好きで彼の作品を演奏したCDは殆ど持っている。吉松さんの作品もすきな方だが、特にこの2曲はもうCDが擦り切れて聴けなくなるのではないのかと思うほど、聴いている。
今日のような天気、さわやかな5月にふさわしい。自分の好みをあえていえば、私は日本人作曲家による作品が好きだ。そこには、この国の人が長い歴史の中ではぐくんできた旋律、音の響き、リズムがある。演歌もいい、J−popもいい。特に日本でないところで聴くと、心に沁みてくる。
もう少し加えるならば、私自身日本人の書いた曲をもっと演奏したい。自分たちがやらなくて誰がやるんだろうか。自分は作曲をある時期かなり真剣に勉強したことがある。おまけに作曲家の友人は多いほうだ。だから彼らにはいつもなんか書いてよ!とは言っているけれど、なかなか機会がない。
いっそのこと日本人の出演する演奏会は、必ず日本人の曲をやらないといけない法律をつくってしまうとか?!
5月28日
ああ、物書きならぬキーたたきは、朝早い時間でないとできない。頭の中に漠然をしている思考を言葉にする作業は、食器をあらってからではできない。かくして朝の一番いい時間は家事にとられてしまう。それでも朝の大騒動が終わって、一人で集中すればするほど、いろんなアイディアが浮かんできて、やっと調子がでてくるころになると出かける時間になってしまう。というわけで、HPの更新はホルンのことを中心にすこしづつ、やっているが、なんとも中途半端。もっとたくさん本を買って、読んで、ホルンを吹いて書きたいのに、、、まあ今日はいい天気なのでもっと物事は晴れやかにかんがえようっと!
5月27日
わたしの夢ーそれは朝早く起きてパンを焼き、コーヒー豆を挽いてお気に入りのコーヒーを淹れる。熱いシャワーを浴びながら今日の予定を確認。仕事。家に戻ってキリン生黒を飲みながら夕食の支度。今日は何にしよう。日本酒なら刺身。ワインならチーズ。ビールなら冷奴。そう考えるだけで食事の支度が楽しくなる。バックグラウンドミュージックは、日本酒ならテレサ・テン、ワインならジャズ、ビールならJ−pop、焼酎ならガメラン、ウィスキーならビートルズ。かっこつけすぎか。酒飲むのにクラシックはいけない。
めざめるなら、やっぱりモーツァルトかバッハがいい。そんな一日を気の置けない人とすごせたらいいかなあと想うことがある。
まあそんなことは多分ありえないけれども、、、テレサ・テン、いい歌手だった。自分から死にたいほど苦しいことがあったのだろう。いい歌たくさん残して、皆からあんないい人がっていわれて亡くなった。自分はどうだろうか?
5月26日
雨音で目が覚めた。最近は日曜日も月曜日もなく、子供が生まれた頃のように毎日忙しい。寝る時間を削るか、作業効率を上げるか、どちらかしかない。家事も会社経営と同じようなもので、いかにして、少ない労力で大きな効率を上げて膨大な家事をやるか、平たく言えばいかに手を抜いて、それらしくやるか、大変だ。自分のホルン、音楽の勉強もしたい。やりたいことは山ほどあるのに、毎日の家事に押し流されていく。
なぜか、我が家の子供たちは、家を手伝いをしたがらない。メイド付の生活にどっぷりつかってしまったせいだろう。こんなことならメイドなんかやとうものではなかった。
さあ今日も忙しい1日の4分の1が終わった。お天気は相変わらずわたしのきらいな空。マレーシアも雨季だという。でもあちらの雨季は、とりあえずからっと晴れる時間が何時間かある。だからなんとなく気分もはれたものだった。これから梅雨に向かってどうしたものか。とにかく頑張るしかないか! Cheer Up!
5月20日
もうブラームスはこころと体に悪いので、ジャズと山下達郎にした。
ジャスは昼間、夜は山下達郎の「good luck」。キムタク主演で話題になったなんとかいう番組の主題歌である。友人がパイロットをやっているので、見ていたが、ドラマの内容はともかく音楽がとても好きで、携帯の着信音、目覚ましの音楽もみんな「good luck」である。和音の進行が既成のJ−Popと違う。
甲田CAPに似た人を知っている。自分に厳しい。とことん厳しい。仕事も容赦ない。うらやましい。自分とは正反対。その恋人役だった、「黒木瞳」さんにもあこがれる。年は殆ど同じなのに、キレイ。プライベートでもお子さんをしっかり育て、家事もばりばりこなしているようだ。
この音楽を聴くたびに、自分に厳しく、って励ましてくれるみたいで気に入っている。
5月16日
今日も雨。今日のバックグランドミュージックはブラームスのクラリネット五重奏。めちゃ暗い。今自分が持っているのはあんまり良い好きな演奏じゃないけれども、この曲をキチンと演奏するようなCDを聞いたら落ち込みすぎてしまいそう。早くブラームスからぬけだしたいが、どうもこの週末は天気が悪そう。明日は何するかな、ピアノ五重奏ーこれもくらいなあ。それにしても最近天気予報あたってますねえ。
5月15日
めがねがない。ものすごいド近眼なので、めがねがないと大変。目がみえないから余計にみつからない。
雨が降っているので暗い家の中を、めがねをかけずに掃除していたら、あーあ、花瓶をひっくり返してしまって、大掃除になってしまった。
雨がやんだら、緑が濃くなって、すがすがしい香りがただよってくるのだろうか。今日はブラームスのバイオリンソナタを聞きながら家の片付け。以前飛行機の中で聞いた、マリア・ジョアオ・ピリスのピアノ、オーギュスティン・ドュメイのバイオリンのCDである。このピアニストは本当にうまい。何十年も前に塩川悠子さんの伴奏で日本に来日したときも、うまいなあと思った。飛行機の中でクラシックなんて聞かないという某ホルン奏者もいるけれども、2,3年前までの元国営航空のクラシックのプログラムは、なかなかよかった。飛行機を降りてから買ったCDが何枚もある。ブラームスもその一つ。あとお薦めは、キーシンと小澤・ボストン響のラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第3番のライブ録音。でも今日の天気には、ブラームスが合っている。ラフマニノフは、晴れ渡った日が似合う。
5月14日
天気は下り坂、こんなときに砂糖壺をひっくり返したからたまらない。粉石けんもこぼしてしまった。今日はこぼす日なのだろう。
久しぶりにブラームスのヴィオラソナタを聞いている。クラリネットソナタではなく、ヴィオラ。どこかの掲示板でクラリネットのことが話題になっていたけれども、自分の経験からいって「これはすばらしい」というクラリネット吹きは、せいぜいシカゴ交響楽団のイェーくらいである。ごめんなさい。クラリネットの友達はたくさんいるけれど、いい音でいい音楽をやる人ってあまり知らない。特にこのソナタは、ヴィオラで聴くに限る。
おまけにこのCDなかなかおすすめである。もう今の若い人たちはしらないだろうけれども、ちょっと前にアメリカですばらしいヴィオラ弾きがいた。ウィリアム・プリムローズというひとである。日本にも来た事があり、この録音は、自分の生まれた年におこなわれたものであるが、なかなかシンプルで、抑制の効いた端正な歌い方が、こんな雲が多い日に聞くにはもってこいである。
クラリネットでは音色が明るすぎる。シューマンの幻想小曲集はクラリネットでやったほうが好きだが、ブラームスのこの作品はヴィオラがいい。ブラームスは一応ロマン派に属するけれども、あまりいじくるものではない。ピアノの作品などもあまりテンポを揺らさず、感情を押さえ気味にして、よく歌うようにするといい。
さあ今日のつぶやきはこの辺にしておこう。
5月8日
どうも低気圧が近づくと、やる気は低下し、頭がいたくなってしまう。まして仕事がないと寝込んでしまう。年のせいかとおもったら、息子もそうらしい。長いことノー天気の国に住んでいたので、体が高気圧になれてしまったのだろう。本当かなあ。
さて、人と人との出会いとは本当に不思議なものだなあと思う。また、生きていくうちで本当に大切にしなくてはいけないなあと最近つくづく思う。2,3日前の某新聞のコラムに、夫婦といえども他人なのだから、お互いを理解するにはそれ相応の努力が必要なのだと書いてあるのを読み、改めて考えさせられた。
われわれの普段の生活では、日本にいる場合「言葉が通じない」ということがあまりない。殆どの人が同じ言語を使用し、「以心伝心」なんていう言葉のあるように、長くこの国の人たちは、「言わなくても分かる」という「慣習」に浸ってきた。
しかし、使っている言葉は同じで、わかったようなつもりになっても、一人一人「言葉」のもつ意味は微妙に違っている。こんなささやかなことに気がついたのは最近。自分の性格を振り返ってみて、私自身は、自分の考えていることを人に伝えるのがすごく苦手であった。例えば同じような悩みをもっていても、それを口に出したり、文に書ける人がうらやましいと思ってきた。
だから、人との出会いも時にはつまずいてしまうことがあるのだなあと思う。また相手の気持ちを測りすぎて、自分に素直になれないこともよくある。そんな自分でも「頑張って」ってエールを送って下さる人たちがいる。ありがとう!
今、Yahooの検索に探したい人の名前をいれると、探している人にネットであうことができる。なにげなく探している人の名前を入れてみたら、その人は今ある大学の講師をしていることがわかった。その専門ではかなり実績もあり、いい仕事をしている。もう30年も昔に別れてしまった人を探すなんて、探すほうも馬鹿だけど、昔だったらとても叶いそうもないことがあっけなく叶ってしまった。
姿形はすっかり変わって、立派な大学の先生という感じであった。人生まるで迷路のようである。闇夜を手探りであるくようなものである。あのとき手を離さず一緒にあるいていたら、今の自分はどうなっていたのだろうか、と思う。あの人の人生もまたそうにちがいない。
祝日なので静かな朝。しかしいつもと同じように4時半におきて、弁当と朝ごはんをつくり、洗濯を干した。あと10分もしたら自分も出かける準備をしなくてはならない。
朝起きる時間に陽が上るようになった。ベランダから見る緑は日に日に増えていく。一番いい季節なのかもしれない。暑くも無く、寒くも無く、半袖で仕事をしていると気持ちいい朝の空気がおいしく感じられる。
最近、ホームページの更新が滞っている。今やりたいのは、ホルンに関すること。ライブラリーも途中だし、奏法に関することももう少し書いてみたい。あと簡単なソロなど譜面を参照しながらの解説なんかやってみたいが、いつになることやら、、、
やっと暖かくなってきた。桜の花もちり、辺りは一面緑の芽が吹き出した。
先日某国営放送の番組でお弁当の特集があったので見た。まったく自分の弁当は恥ずかしくて、人様にさらすものではないと、改めて思い知らされたが、いろいろ勉強になったので、早速参考にしてみた。一番上の息子は、高校3年なのであと何回つくれるのかと思うと、ゲストのアグネスと同じ様な気分になってきた。どうせ作るなら、「わあ、食べたい!」「こんな弁当作ってよかった。」っていう弁当にしてあげるべきなのだろう。
中身はあまり変わらないけれど、ちょっとした工夫でいくらでも変えられるんだということに気がつき、朝の楽しみがまた増えた。お日様も早く昇るようになって、早起きもそんなにつらくはなくなったし、いつまで続くかわからないけれども、しばらくがんばろう。
ぼやきたいことは山ほどあるけれども、聞かされるほうもたまったもんじゃない。ぼやきは独り言にしようと決めている。
さて、昨日は、毎年恒例になりつつある、大学の同期の連中(と呼ばしてください)と集い、酒を飲んだ。よかった。なにも気を使わずに話しができる。親、親戚、家族、会社など普段の付き合いでは絶対こんなことはありえない。おかげでもうすごいパワーをもらって帰ってきた。なんせみんないいおばさん、おじさんにはなってしまってけれども、あのときの自分たちにかえって、いいたいことしゃべり放題。ありがとう。
先日「戦場のピアニスト」という映画を子供たちと見ました。
中身は重く、苦しく、子供たちも正視に堪えない場面が多く、私自身これが現実にあったことなのだと思うと、夜も眠れなくなりそうだと思いました。
感想がいえない、かけない映画です。子供たちは、映画が終わったあと、口をそろえて「北朝鮮が日本に攻めてきたら、ああいう風になるの?」と聞かれました。今、日本は本当に北朝鮮の脅威を真剣に考えなくてはいけない時期だということを悟っていることがわかります。
日本の歴史の中で「侵略」「植民地」というような事実はまったくなかったといっても過言ではありません。2000年以上の歴史の中で、なんとなく、何処の国からも、他の国にくらべれば、あまり激しく襲われることもなく(もちろん元寇が激しい戦いだったことは知っています。第二次世界大戦のことも知っています)平和に生きてきた日本人にとっては、戦争は想像もつかないことなのです。
でもあれが戦争なのです。人を殺す事は簡単。殺された人たちが罪もないのに、相手側に意見しただけで殺される、食べ物がなくて死んでいく。今の日本では考えられないことは事実です。
コンピューターグラフィックの技術が進み、すべての製作をポーランド人だけで行った?!というのも驚異です。よりリアルでかつ淡々と戦争ってこんなもんだよとつぶやいているこの映画、あなたも見てください。
ちなみに子供たちは、家に帰ってきてから、ノクターンとバラードを弾いてくれとせがまれました。どちらも自分の感情を抑えつつも表現するにふさわしい曲です。練習しなくては!
久しぶりに弁当日記をUPした。今年もあっと言う間に2月になってしまった。我が家には受験生がいるので、といってももう帰国してから、毎年誰かしら、受験生であり、一番下が大学に入るまで、あと何年もいやな2月を過ごさなければならない。
なんでこんなくだらないことに時間を費やさなきゃいけないんだよお〜といいながら、最後の追い込みをしているようだが、結果はどうなるのだろうか。
先日、テレビで中学入試の社会と理科の問題を通行人に尋ねていたが、やらせなんだろうか、理科は、臓器の名称、社会は、何年に何が起こったというようなごく基本的なもんだいにもかかわらず、合っている人がほとんどいなかった。こういう人間がもし多いのだとしたら、マスコミによる情報コントロールは簡単だなあと考えさせられてしまった。
受験に関する情報もそうだが、狭いところに人が多い国ではしかたないのだろう。さまざまな情報によって当落の基準が流されている。そして、昨年度の調査では志望者が多かった学校が少なくなったり、少ないといわれた学校はその逆。また進学重視と言われる都立は軒並み3,4倍の競争率になっている。
我が家は多分無理と言われた学校で挑戦することになっている。初めて学校見学をしたときから、かなり気に入っているようで、いまさら、他の学校の自己PRカードは書けないというのが本音のようだ。情報で学校を決めるようなひとたちは、情報に流されていくのかもしれない。
もう1月が終わり。
我が家には中三の春を目指す人がいるので大変。
いつからこんなに親がやきもちしなくてはいけなくなったんだろう。昔は親ももう少しオ気楽だったと記憶している。
まあいいや、がんばれよお、私のできることといったら、おいしいご飯を作ること、汚れた洋服を洗うこと。
昨日すごい夢をみてしまった。私の友人が、新しい楽器を買うので、今持っている楽器をくれるというのである。うわあやったあ、これで念願のアレキを手に入れることができる。ところがいつまでたっても、その友達は私に手渡そうとしない。そうこうするうちに目がさめてしまったというわけである。
アレキサンダーは、一度も所有したことがない。理由は特にないが、あえていえばその音が好きでない。本当に良いアレキの音を聴いたことがないのかもしれないけれど、自分がすきなホルン奏者は、たまたまみなアレキ以外の楽器を使用している。
おまけに音程はなんとなくはまらないし、つぼとか言うのがあって鳴らしにくい。夢の中で私に楽器をくれるといった人は、実際、私はすごくアレキに向いているから、アレキを買えといつもいっているのだが、どうもその気にならない。
みんながすてきーと騒ぐような男性が、そうかなあと思うの同じかもしれない。
でも、これが正夢になってくれたら、少しは好きになるかな?!
ああ、弁当がまたワンパターンになってきた。いけないとおもいつつ、朝4時半起きはやっぱりきつい。おいしいといってくれるわけでもなし、嫌いなものはちゃんと残してくる。寝坊したり、今日は面倒くさいと思って、手抜きをした日に限ってきれいに食べてくる。
弁当も自分との戦いかあと思うと少し気が楽になるけれども、なんとなくさびしい。家事って本当に自分のためにやるんだっておもわなかったら、とてもやる気にならない今日この頃。
楽しい夢でも書こう!今日の夢ー自分の家に練習部屋を作って、そこで練習すること。
朝ご飯を食べない子供が多いらしい。今日の日経新聞にもそんなようなことが書いてあった。この前は朝ご飯をしっかり食べる子供は、学校の成績がいいらしい。我が家は朝からまあまあの朝ご飯を作っている。たいていはご飯に味噌汁、玉子焼きに納豆とか、漬物などである。味噌汁は具たっぷり、野菜の味噌煮みたいである。それにコップ一杯の牛乳。だけど学校の成績はそんな良くない。
魚を毎日食べる人は頭がよい、健康にいいというので夕飯はたいてい魚である。肉を食べるのは私が仕事などで夕方家にいないときに作る、カレーライス、ビーフシチューくらいなもの。
確かに肉料理は簡単だし、安い。魚はちょっと手を加えないといけないし、高い。海で囲まれている国なのに、いつの間にか、向こうの大国の肉が安く手に入るようになったのだろうか。
そういえば、スーパーでは一年中殆ど同じ魚が売られている。多分商社などがそういうルートをつくりあげてしまったのかもしれない。まぐろ、たら、たこ、いか、えび、さば、うなぎ、あじ、いわし、かつお、秋刀魚などいつも手に入る。やっぱり冬は冬でないと食べられない魚を味わいたい。やっぱり築地までいかなきゃいけないのかなあ。
昔この日は旗日だった。そして旧正月。中国では新年から2週間は正月だそうで、その間は正月のご馳走を食べたり、アンパオを渡したりして、お祝いをする。日本は最近は元旦からスーパーがあいているので、正月という改まった気分がうすれているような気がする。そう「晴れの日」「ご馳走」という概念、言葉がなくなりつつあるとどこかで読んだが、本当にそう思う。
最近は、八百屋さんの店先には、みかんとともにイチゴがめだってきたけれども、昔は、こんな寒いときにイチゴはなかった。あれは、5月、さくらんぼや桃が出てくる前の果物だったのに、、、そんなことを書いたのも、実は今日は、その昔とある理由でイチゴが食べられる日だったのである。
私が小さいころといえば、ケーキなんか1年に2回と決まっていた。ましてショートケーキと呼ばれる、イチゴが載ったケーキは1年に一回。親がこの日のためにきっとお金をためていたとおもうくらい、立派なケーキを用意してくれたものだ。お寿司屋さんから、出前が来てお寿司を食べられるのもこの日くらいのものだった。
今では、毎日、手軽にお寿司もケーキもアイスクリーム(夏しかなかった)も食べられる時代となってしまったけれども、昔(といってもそんな遠くない)は、そうやって日々の生活にメリハリをつけていたのだと思う。
今日はどうしようか、家主はそういうこと(記念日)を祝う習慣がないし、子供たちは、塾だバイトで夕食はいつもばらばら。ちょっと高いワインでも買うか。
弁当日記をアップした。今年はもっとレパートリーを増やしていこうと思う。中3の春の息子になんとか母の気持ちを伝えるのは弁当が一番かなとも思う。ありきたりの考えではだめだよ!ひらめき、思いつきは大切にしてくれ!常に努力を怠るな!どこまでつたわるかわからんけれど、、、毎日同じ弁当、いつも同じべんとうではやっぱり説得力がないからね。私もいろいろ工夫するから、君もいろいろ工夫してくれと願いをこめることにしよう。
あたらしい年になって、もう一週間も過ぎてしまった。あれもこれもしなくてはとおもって、書き出してみるのだが、どれも中途半端。年末には年賀状を忙しさにかまけて出しそびれ、三が日になんとかだそうと思っているうちにもう8日、今から「寒中見舞い」でも出すか。
それにしても新年早々、楽器は落として早速修理屋さんに初仕事してもらったし、コンタクトレンズはおとしてしまうわ、あまりよくないことばかり続いている。毎年こんなスタートだから1年振り返っても、まあなんとか生きてこれてよかったのか、わるかったのかくらいしかの感慨しかない。
冬休みの2週間を、マレーシアで過ごしてきた娘が帰ってきた。びっくりしたことは、とにかく笑顔が絶えない。あと2,3日すると、笑顔が殆ど消えていくのだろうか。よほど楽しかったのだろう。暖かいお日様と人の心に触れてきたのだろう。
とにかく頑張らなければ!もっとホルンをたくさん吹いて、うまくなろうっと。

(c) by Lime 2003. All right reserved.