最近読んだ本 6月10日(日)

最近読んだ本で、とても面白かったのは、春江一也さんという方が書かれた、「プラハの春」「ベルリンの秋」です。ご自身の経験を基にかかれたこの2作は、まさに激動の歴史をまさに肌で感じた人でなければ、書けない緊張感がみなぎっていて、一気に読んでしまいました。学校で習う歴史というのは、本当にうわべだけだなあというのが、読後の正直な感想です。マレーシアのオーケストラでは、いろいろな国の人間と、仕事をしました。特に、以前東欧と呼ばれた地域の国々の人たちの話は、本当に日本では想像することのできない世界の一つだと言えます。つい最近まで(10年くらい前)は、小学校の低学年から、自国の言葉と共に、ロシア語を勉強しなくてはいけなかったそうです。およそわれわれがかんがえるような自由というものは、まったくなく、物もなく、大変な生活を強いられていたそうです。そんなことを聞いていたので、私にとって、この2作は、とても身近な話として読み進むことができたと思います。

作品の縦の線が激動の歴史だとすると、横の線は、まさに人間の愛、男と女の愛かと思います。文章の所々に出てくる、何気ないところに、人間としての愛の美しさとはかなさがちりばめられていて、思わず涙してしまうことが何度かありました。

DHA 6月2日(土)

まぎらわしくてすぐ間違えてしまいます。昨日も書き終えてから間違いに気づきました。お恥かしい限りです。DHAは必須脂肪酸、高度不飽和脂肪酸のことで、魚介類に多く含まれているそうです。効果として、動脈硬化予防、心筋梗塞予防、脳の発達に密接な関係があるとされているそうです。失礼いたしました。

ところで、マレーシアには、いわしをトマトソースに漬けた缶詰が、広く売られていました。これは、安くておいしいので、給料日前とか、今日は料理の手を抜きたいというときに、重宝していました。日本では、まだあまり売られていませんけれども、あれば良いなあと思っているのは、私だけでしょうか。これで作る一品をご紹介します。ちなみにこれは、マレーシアでよく見られる、飯屋さんーnasi champur, nasi kander, 経済飯などの看板を掲げているホッカーで、見つけることが出来ます。メニューの名前は、ちょっと忘れましたが、見ればすぐわかります。材料は、たまねぎといわしのトマトソース缶、卵、炒め油です。まず、スライスしたたまねぎを油でよく炒めます。透き通るようになったら、いわしを入れ、最後に溶き卵を上からかけて出来あがりです。別にサバの味噌煮缶とか、鮭の水煮、さんまの蒲焼缶で同じように作ってもおいしいと思います。油っぽいのが嫌な方は、たまねぎを市販の「つゆ」とかで煮てもいいと思います。これを熱いご飯の上にのせて食べると結構行けます。

もう6月 6月1日(金)

2月に書いて以来、四ヶ月近くサボっていました。まあこんな不精な日記もあっていいかと開き直り。昨日は、生協から、新鮮ないわしが10匹届いたので、6匹を団子にし、四匹を開いて粉をつけて焼き、あとで蒲焼でもトマトソースをかけて食べられるように冷凍にしました。我が家もご多分に漏れず、私以外のひとたちは、魚や野菜があまり好きでないので、少しでも工夫をしてなんとか食べてもらうようにしています。また、子供といっしょに料理をすると、意外と興味をもって食べてくれるということを発見しました。たとえば、昨日は、いわしの中骨を、揚げておつまみ?にしたのですが、娘に揚げるのを手伝ってもらったら、おいしい、おいしいとたべるようになりました。いわし、鯵は、ゆっくり油で揚げると、おせんべいみたいでおいしいですね。いわしを煮るときは、あまり濃い味付けでなく、梅干しをいれたり、しょうゆの代わりにニョクマムを使い、酢をいれると、さっぱりとして食べられるようです。粉をつけて焼いたものは、我が家ではよく、自家製トマトソースとチーズをのせて、オーブンで焼きとよく食べてくれます。「DNAをたくさん食べると、頭がよくなるんだってさ!」といいながら、いろいろな魚、特に青い魚を料理しているのですが、学校の成績はちっとも上がる気配がありません。

読書 2月11日(日)

最近はあまり本を読まなくなってしまいましたが、昨日、宮本輝さんの書かれた「睡蓮の長いまどろみ」の上下を一気に読みました。私の読書の傾向はとても偏っていて、その昔は、松本清張さんの推理小説、その次は、渡辺淳一さんの男と女の物語、それから森瑶子さん、小池真理子さん、と女性作家が続いたあとは、宮本輝さんという具合に、一人の作家の作品をまとめて読むことが多いです。その間に、飛行機のことを書いた本とか、フィクションとかを読みます。飛行機の中では、普段はめったに読まない週刊誌。電車のなかでは音楽関係の雑誌が多いでしょうか。最近はよく、TimeやNewsweekの日本語版をよんでから、原版をよむということもときどきします。

渡辺淳一さんの男と女の物語は、本当にほとんどと言って良いくらい全部読みましたが、最初に読んだ「阿寒に果つ」が一番すきです。宮本輝さんの作品もだいぶ読みましたが、なんといっても「ドナウの旅人」が好きです。やはり自分は音楽をやるせいか、ドナウ川は、とても親しみを感じます。そのドナウ川を下りながら、物語が展開して行く、その筋立てもなかなか好きです。「ドナウの旅人」は確か、主人公が旅の終わりに、命を閉じて終わりになっていますが、終わりと言う感じがしません。宮本さんの、ほとんどの作品の終わり方が、え!?これで終わりなのというような終わり方をするのも特徴かもしれません。

ついでながら、川の流れには始めも終わりもないのではない、というのが私の持論です。それはまるで人の人生のように、自分では意識できないところから始まり、終わりを意識できない、ものではないでしょうか。ああ、これは自分の人生と感じるのは、、まさに生きていると思うその瞬間の積み重ね?まるでヴィデオテープのカットを見ているような感じかもしれません。

さて、話は元に戻して、「睡蓮の長いまどろみ」の中で、私の好きなフレーズのひとつは、焼き鳥屋の親父がいうせりふです。「罰が当たって、みすぼらしくて恥かしい姿になった自分を、人間てのは必ず自分がくるしめた相手にさらすんですね。必ず、その日が来る。あらゆるものはそういうふうに出来てる。」とても怖いせりふだけど、生身にぐさっときました。その他に、睡蓮と蓮の違いなども興味深く読みました。

立春 2月4日(日)

季節を分けると書いて、節分。実際には、まだまだ冷たい風が吹き、まだまだ春の実感には乏しいけれど、春と聞くだけで、心がなんとなく明るくなるような気がするのは、私だけでしょうか。日は冬至のころより長くなり、八百屋の店先には、タラの芽が出ています。私は、去年生まれて始めてタラの芽を見たとき、びっくりしました。見たものでないとわからないその喜び。桜の芽も少しづつ膨らんでいるように見えます。ケヤキの枝はだんだん増えていきます。蝋梅もすこしづつ咲き出しました。人それぞれの生き方があるように、自然界にもいろいろな生き方で、人の心をなごましてくれます。

雪に想う 1月28日(日

金曜日の夜から東京は、今年3度目の雪が降りました。回を重ねるたびに降る量が多くなっていくようで、土曜日は、1日中交通機関が混乱していました。普段雪とは、ほとんど縁のない東京で、これだけの雪が降ると、怖いことばかりで家に居るのが一番安全です。実は朝から出かけたのですが、電車のダイヤが乱れているので、踏み切りが開かず、道路も大渋滞。電車のホームの端には、雪がすぐ積もるので、乗り降りするときすべりそうで怖かったし、道路を歩いていると、滑ってしまうし、大変な一日でした。ニュースでは、滑って転んだ人が、打ち所が悪くてお亡くなりなったとか、、、金曜日の新大久保駅の事故といい、インドの地震といい、人は、おもわぬところで、思わぬ死に方をするものたど、昨日はつくづく思いました。

今日は昨日と変わり、晴天で暖かくのどかな日曜日になりました。桜の芽が、寒さにも負けず少しづつ出番を待つかのように、上を向いているのが、目につくようになりました。

日記が続かない理由 1月27日(土)

書かなくちゃいけない、とはおもっていたのですが、結局2週間も書かずにいました。書きたいことがあるときは、時間がなく、なにかこうかな、と思うような日は、意外と時間があったりで、毎日日記を書きつづけることができる人は、本当にすごいと思います。ただ、ひとつ思いついたのは、書くことがない日は、夕飯や弁当のメニューを中心にすると、意外に書くことができるいうことに、気がつきました。

我が家の夕飯は、基本的には、魚中心のメニューです。肉は、安いし、料理の仕方もバラエティがあっていいのですが、健康のことを考えると、どうしても魚中心になります。それは、昔アメリカにすんでいたときにお世話になった方が、アメリカは医療保険のシステムが日本と違いますが、まず病気にならないこと、そのためには普段から健康を保つために、食生活は手を抜いたらいけないと、いつも言っていたからです。病気になってしまうと、お金も時間も無駄になってしまいます。健康な体を保つためには、適度な運動もひつようですが、食べ物にも気を使わなければと思っています。なによりもバランスのとれた食事は、一番だと思っています。

おやつも、手作りのカップケーキや、おせんべい、おにぎり、ツナとかハムのサンドイッチ(夕飯が食べられないと困るので、少しだけです)を中心にするようにしています。いわゆるスナック菓子は、親が楽できるし、味も食べやすいのですが、我が家では、あまり買わないようにしています。

そして、我が家で大切にしていることは、独りで食べない。食べさせない。食べるときは、なるべく一緒に話をしながら、食べるようにしています。(ただし、家主はほとんどその場にいませんが、、、)

世の中のこと 1月12日(土)

所詮人はみなそれぞれ、違う物差し=価値観をもっているのですが、人独りでは生きていけません。だから家族というものがあり、社会というものがあるのだと思います。さまざまな集団のなかでは、生きていくために、お互いが助け合う必要があります。そこから規則、習慣、約束、契約などといった事柄が生まれてきたのでしょう。

さて、一日の生活を振り返って、歩道を歩いていると、むこうから自転車がものすごい勢いで走ってきます。こちらがよけなければぶつかってしまいます。次は、お友達同士おしゃべりをしながら、自転車がこちらに走ってきます。私はまた立ち止まってよけなければ、ぶつかってしまいます。駅の階段を昇っていると、上から駆け足で降りてくる人がいます。やっぱり私が立ち止まらなければ、ぶつかってしまいます。改札を通ろうとすると、あとから来た人がさっとすり抜けていきます。

私はよほど要領がわるいのかもしれません。でも私がいつも立ち止まるおかげで、事故がないと思えばいいのかもしれません。新しい世紀を迎えて、私は、少し世間からみたら、バカ正直者でちょっと要領の悪い自分の生き方を、少しだけ変えてみようと思っています。もともと持って生まれ性格はかえられないので、自分のものさしを代えるのです。私のような正直者がいるから、世の中にはたくさんのうそつきがいるんだ、要領の悪い人間がいるから、要領の良い人間がいるんだって思うと、なんだか胸のつかえがとれたような気がします。

生きるということ 1月7日(日)

生きているということは本当にいろいろなことがあるのだと思います。私の人生は失敗の連続だと思うとき、ではどんな人生が私にとって成功なのだと思います。

たとえば、人はなぜかパートナーを選ぶとき自分と反対の性格、または反対の習慣の人に引かれます。でもそのときこの人と一生長い間自分とは違う人間とうまくやっていけるのかと、冷静に考えることができたら、多分パートナーという問題に関しては成功なのかもしれません。

私はどうしてこんなに苦しまなきゃならないのかと思うとき、私はどうすれば楽しい人生が送れるのかと思います。

たとえば、人は所詮違うのだ、と割り切ってしまえば簡単です。自分に正直にいきるより、世の中をいかに、うまくわたりあうかをまず考えながら、生きていけば、世渡りはスムーズに行き、まずは成功なのでしょう。

すべては自分の価値観でしかないのですけれど、不器用な人間がいるからこそ、器用な人が居るのでしょう。良い人間がいるから、悪い人間がいる。結局自分の人生は自分でなんとかやりくりして、やっていくしかない、と思うと、私は無性に自分の弱さに腹が立ち、心細くなります。

人は所詮独り、だけど独りでは生きていけない。この矛盾に、私は生き苦しくなってしまう今日この頃です。

王様 1月 6日(土)

今日は、ついにマレーシアの王様とお妃様の50cmまで接近したのですが、握手をしていただけませんでした。たかが握手、されど握手。来年は、Japanese Kimonoを着て参上すれば、握手は間違いなし!

このメッセージボードをごらんの方で、天皇陛下、妃殿下と握手をされた方おられますか?実は、以前両陛下がクアラルンプールにいらした折、ほんの一瞬、やはり50cm以内の場所でお声をおかけしたことがありました。あの種のご職業のかたがたは、本当は、もっと広く庶民?とお話をされたいのだなあと、今回もつくづく感じました。気さくで、警備の人がいなかったら、いつまでも、握手をしたり、話し掛けたりしたいようです。国民の象徴とはよく言ったものです。両陛下のおそばにいるだけで、一瞬天にも上ったような気持ちにさせていただけるのは、本当に光栄です。日本海側地方の方々は、豪雪と聞きました。どうかご自愛くださいますように。

よい天気 1月 5日(金)

KULは今日久しぶりによいお天気になりました。明日は、文化、芸術、観光省主催のNational Open House 日本語でなんて訳したら良いのでしょうか。とにかくイスラム教の断食月が終わって、みんなで良くがんばった、さあおいしいものをたくさん食べましょうというのが、ハリラヤなのです。そしてOpen Houseは誰でも行っていいのです。そして、おいしい物を食べて、親しい人とは、その関係を深め、知らない人と知り合ういい機会です。マレーシアの伝統舞踊や伝統音楽、そしてオーケストラの演奏もあります。ご興味のある方は、ぜひお越しください。

「おじさん的末期症状」=演奏の技術は若い人の方が上だから、そう思ってしまうのは、仕方ないかもしれませんが、私たちには、経験というものがあります。でも私のように、いつも人生を踏み外ししまった、人間はどうすれば良いのでしょう。人生40にして惑わずとは、本当は迷うからこそ言われてきた言葉なのだと思います。自分の人生大切にやりましょう!!!

A Happy New Year 1月 3日(水)

皆様、明けましておめでとうございます。新しい21世紀が皆様にとって、よい年でありますよう、こころからお祈りいたしております。とまあ、このあたりまではまじめに、ご挨拶。実は新年早々馬鹿をしでかしましたので、皆様には、お笑いをお分けしたく、恥は承知で書きます。

2001年1月2日この日のコックピットクルーは、お正月をシンガポールで過ごされた方たち。お正月といえども、お勤めご苦労様です。私と息子は、予定より早くシンガポール・チャンギ空港につきました。チェックインを無事終え、まだ1時間ほど時間があるので、かねてより、息子からリクエストされていたコンピューターのソフトウェアーを買いに、よせばいいのにターミナル2へ行きました。(乗るべきゲートはターミナル1)息子お望みの品(SIM’S=これがまた面白い!)をゲットし、近くのコーヒーショップで、お茶を飲みながら歓談。ところが、私も息子も、ティピカル・マレーシアンで、時計なし。そこから先は読者の想像にお任せいたします。一度でもシンガポール・チャンギ空港をつかったことがある方はおわかりかと思いますが、、、はっと気がついてとある時計を見たら、もう出発時刻を10分も超過。これはもう間に合わないかもしれないけれど、間に合うかもしれないと、ターミナル2の端からからターミナル1の端までダッシュ!途中で、私たちが乗るべきエアラインのお姉さん、お兄さんがまっさおな顔をしてお出迎え。タイガービアですっかりお正月気分を味わっていた私はハ イヒールで走ること、走ること。酔いもすっかり覚めて、ひたすら間に合うことを祈るばかり。

ついにたどり着いたゲートですっかり皆々様からお小言をいただきながら搭乗いたしました。

でもゲートに向かう電車の中で、なぜか、息子に、「うん(運)、もしかして、お母さんのことを待っていてくれているのは、お友達だったりして。。。」これが大当たり。お友達のキャプテンは、「正月早々、ついてねえなあ、まったくゆるせねえ!」と内心おおこりだったかもしれませんでしたけれど、しばらくぶりの再会で、なんとかゆるしていただけたよう?!です。

皆様、今年も出発時刻には、くれぐれも遅れないようにいたしましょう。


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